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東京高等裁判所 昭和44年(う)1496号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人竹沢東彦各提出の控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

被告人の控訴趣意第一点について。

所論は、原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるといい、その理由として、(一)本件交差点は複雑な変形交差点であり、中心点の標示がないため、被告人は右中心点の認識につき多少の誤差はあつたにせよ、被告人車が完全に交差点に入つた時点においては、反対方向から交差点に直進する車両はなかつたのであるから、該直進車の存在を前提とした原判決は、事実を誤認している。即ち、原判決は、被害自動二輪車が被告人車より先に交差点に進入したことを前提としているけれども、右二輪車は被告人車が交差点に進入した後に、反対方向から該交差点に進入してきたものであつて、このことは、被告人車が本件交差点の北側横断歩道に進入してから衝突地点まで進行するのに約三秒を要しており、被害二輪車の速度は、時速約九〇粁から一〇〇粁であつたから、秒速二五米として、三秒では七五米であり、従つて、本件事故発生前三秒の時点(即ち被告人が北側横断歩道に進入した時点)においては、被害二輪車は、衝突地点よら七五米南方の地点にいたのであり、該地点は、交差点南側横断歩道より更に南方の地点であることは明かであるから、被害自動二輪車が被告人車より先に交差点に進入したことを認むべき証拠はない。(二)被告人は、自分が交差点の中心点と思料した地点の直近の内側を右折進行していた時に、本件衝突事故が発生したのであつて、交差点に差しかかると同時に右折しようとしたのではない。(三)被告人が被害二輪車を認めたのは、原判決認定のように、前方約一五米の地点ではなく、左前方即ち左側面の方向約一五米の地点であり、その時は、被告人は既に把手を右に切り、右折を開始した時であり、右折しようとした時点を経過している。(四)被告人が自車を被害二輪車に激突させたのではなく、交差点内で右折進行中の被告人車の左側前部に被害二輪車が激突したのである。これを要するに、被害二輪車が道交法三七条二項に違反した過失により本件事故が発生したのであると主張する。

よつて、按ずるに、道交法三七条一項は、「車両等は交差点で右折する場合において、当該交差点において直進し、又は左折しようとする車両等がある時は、第三五条第一項の規定にかかわらず、当該車両の進行を妨げてはならない。」と規定している。従つて、右折車は、たとえ交差点に先に進入していても、自車の進行方向又は反対方向から交差点を直進しようとする車両の進行を妨げてはならず、これは直進車が既に交差点に進入していると否とを問わないのであり、即ち直進車が右折車に優先するのである。しかし、右折車が「既に右折している」場合には、逆に直進車は、右折車の進行を妨害してはならず、右折車が直進車に優先するものであることは、同条二項の明定するところである。そして、右にいう「既に右折している」とは、右折を開始しているとか、いまだ右折中であるというのでは足りず、右折を完了している状態又はそれに近い状態にあることを要すると解するのが相当である。

そこで、本件において、被告人車が、右三七条二項にいう「既に右折している車両」に該当するか、即ち被告人車が被害二輪車に優先するか否かの点について考察するに、証拠、特に司法警察員の実況見分調書、鈴木孝の司法巡査に対する供述調書、原審の検証調書、原審証人鈴木孝、同大橋洋一に対する各尋問調書、被告人の司法警察員に対する供述調書、なお当審検証調書によれば、本件交差点は、四道路、即ち、北方から幅員八米、西方から幅員一〇・一五米、南方から幅員一〇・七五米、南東から幅員五・三〇米の各道路が交るところの、南北に長い(北側横断歩道の内端からこれに対向する南側横断歩道の内端までの距離は、三四・六〇米)複雑な変型交差点であり、北方から幅員八米の道路を前進して来た被告人車と、南方から幅員一〇・七五米の道路を北進して来た被害二輪車との衝突地点、即ち、前記実況見分調書添付図面の〈×〉点(原審及び当審各検証調書添付図面の〈×〉点)は、交差点内で、北側横断歩道の内端から南方四・五七米の地点であり、被告人の進行して来た方向から見れば対向車線上にあるが、被告人が右折しようとした、西方から交わる前記幅員一〇・一五米の道路から見れば、その中央線の延長線よりも北側であつて、被告人が右折進行しようとした南側(左側)ではないこと、又、被告人車の損傷状態は、「左前フエンダー角からフロント・グリル左端が人頭大に凹損し、前バンバ左端から内側四〇糎の部位が全体に内に曲損し、左前輪タイヤに接着していた」(前記実況見分調書参照)のであるから、その衝突部位は、車両前部の左角附近であること(なお当審証人大橋洋一に対する尋問調書の供述によれば、被告人車は、トヨエース四二年式普通貨物自動車で、前輪が運転席より少し前の方にあるキヤブオーバー型であることが認められる。)、被害自動二輪車は、直進状態で被告人の車両前部の左角附近の部位に衝突していることが認められる。右衝突地点の位置関係と両車両の衝突状態から考察すると、被告人車は、衝突時において、未だ完全に右折又はそれに近い状態にあつたのではなく、右折途中の状態にあつたのであり、いわんや、衝突前、被告人が被害自動二輪車を約一五米先に発見した前記実況見分調書添付図面の〈1〉点においては、なおさら然りであつたと認められるから、被告人車は、道交法三七条二項にいう「既に右折している車両」に該当するとは認め難いといわねばならない。果して然らば、被告人が本件交差点を右折するに当つては、道交法三四条二項に従い、交差点の中心の直近の内側を徐行すべきは勿論(尤も、本件変型交差点の中心点が何処であるか、これを確定することは困難ではあるが、原審並びに当審における各検証の結果と前記衝突地点から判断すれば、被告人の進路は、交差点中心点より内側近廻りに過ぎていると認められる。)、同法三七条一項の規定に従い、交差点を直進しようとする車両の有無を確認し、その車両の進行を妨害しないよう、これに進路を譲り、以つて事故の発生を未然に防止すべき義務があるというべく、しかして、このことは、直進車が、既に交差点に進入していると否とに係りないこと、前述のとおりである。しかるに、前掲証拠によれば、本件交差点の北側横断歩道附近から被害自動二輪車が進行して来た前記幅員一〇・七五米の道路に対する見透しは、一直線で頗る良好であるから、被告人としては、交差点を反対方向から直進しようとする車両の有無を確認することは容易であり、被害自動二輪車の速度が後記のように高速度であつたにせよ、これを早期に発見することができたのに、その確認を怠り、右二輪車が交差点内に進入し、しかも自車の左斜前方約一五米に迫つて漸くこれを発見し、しかも右発見後直ちに、これに進路を譲るべく停車その他の措置をとらないで、そのまま右折を続けた過失により、換言すると、被告人が、道交法三七条一項所定の義務を十分に尽さなかつた過失(尤も、被害者の過失も相俟つていること後記のとおりである。)により、本件事故が発生したものと認められるのである。原判決の認定判示する所も、右と同趣旨であると解される。

所論は、被告人車が本件交差点に進入した時には、反対方向から交差点に直進する車はなかつたのに、原判決は右車両の存在を前提としている、被害車両は、被告人車が交差点に進入した後に、交差点に反対方向から進入して来たものであると主張しているが、前述のとおり、直進車が既に交差点に進入していると否とは、被告人の前示直進車の進行を妨害してはならない義務には通常の場合影響はないのであるし、原判決もその趣旨に出で、被害車両が被告人車より先に交差点に進入したとも判示していないし、また、被害車両が被告人車より遅れて交差点に進入したことを否定しているものとも認められないのである。所論は採るを得ない。

次に所論は、被告人は本件交差点に差しかかると同時に右折しようとしたものではないというが、原判決は、被告人が本件交差点に差しかかると同時に右折しようとしたとは認定していないことが判文上明らかである。また、所論は、被告人が被害車両を発見したのは、原判決認定のように、前方約一五米の地点ではなく、被告人が右折を開始した時点で、左前方約一五米の地点であるというが、前掲証拠によれば、被告人は、右発見時、既に把手を右に切つていたことが認められるから、左斜前方と認定するのが正当と認められるのであるが、前方であれ、左斜前方であれ、この程度の誤認は、原判決に影響を及ぼす事実の誤認とはいえない。次に所論は、被害車両の方が被告人車に激突したものであつて、被告人車が激突させたのではないというが、後記のような被害者の過失もさることながら、被告人が前記過失により自車を被害車両に激突させた事実は、これを否定できないから、この点の所論も採るを得ない。

以上要するに、原判示事実には、原審記録及び当審事実取調の結果に徴しても、判決に影響を及ぼすべき事実誤認があるとは認められないから、論旨は理由がない。

同控訴趣意第二点について。

所論は、原判決は、刑訴法三三五条二項に違反していると主張する。

しかし、右条項にいう「法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実」とは、犯罪構成要件に該当する事実以外の事実であつて、法が特に犯罪の成立を阻却すべきものと規定した事実をいうのであつて、所論のような、本件交差点において優先通行権は被告人にあるから、かかる権利を無視して暴走する車両のあることを予想して、自動車を運行すべきことを強制するのは、信頼の原則を否定するものであるとか、又、本件事故発生原因と被告人の自動車運行との間には物理的因果関係はあるが、法律上の因果関係はなく、本件事故は全く被害者の一方的交通法規違反に基くもので、被告人は無罪であるとの主張の如きは、結局において、被告人には過失がないことを主張するに帰するのであつて、前示条項にいう「法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実」には該当しないから、所論は理由がない。

弁護人の控訴趣意の一について。

所論は、原判決は、被告人が、原判示交差点で右折しようとしたが、と認定判示しているけれども、原審証人鈴木孝に対する尋問調書の供述によれば、同証人は、被告人の車両が既に右折している車両であり、しかもその右折方法が正常な運転方法に従つたものであると供述しているのであるから、被告人の車両は、道交法三七条二項の「既に右折している車両」に該当すると判断さるべきであり、原判決には明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認があると主張する。

しかし、本件において、被告人の車両が、右条項にいう「既に右折している車両」に該当しないことは、既に、被告人の控訴趣意第一点に対する説明において、説示したとおりである。尤も、所論原審証人鈴木孝の供述中には、所論援用の如き供述部分があるけれども、右供述部分は、同証人が事故現場における衝突地点や本件各車両の損傷状態を実地に見分した上でなされたものではなく、本件交差点南側横断歩道より四、五〇米手前(南方)の地点で、被告人車と被害自動二輪車の衝突を望見した体験に基づいてなされたものであることが、同人に対する当審尋問調書中の供述によつて認められ、従つてその判断は必ずしも正確なものとは認められないから、右供述部分のみを根拠として、被告人の車両が、既に右折している車両に該当すると認むべきであると主張する所論には、賛同できない。それ故所論は採るを得ない。

同控訴趣意の二と三について。

所論は、被告人は、本件交差点の入口の一五、六米手前から右のウインカーを出し、対向車の有無を確めたところ、南入口の横断歩道上あたりに一台の普通車が見えただけで、交差点内に通行車両がなかつたので、右折可能と判断の上右折し、右普通車とは何ら事故を惹起していないのであるから、道路交通法の運転上の注意義務、即ち具体的に結果予見をし、右普通車に対する事故回避義務を十分果たしているのであつて、それにも拘らず、本件事故が発生したのは、被害車両が右普通車の左かげから時速約一〇〇粁という高速度で進行したことによるものであつて、被告人に対し、右以上の注意義務を求めることは、期待可能性を欠くと主張する。

しかし、被告人の司法警察員に対する供述調書、原審及び当審における被告人の供述中、被告人が本件交差点の北側横断歩道に差しかかつた時、普通車が一台南側横断歩道附近にいるのを見た旨の供述は、原審及び当審証人鈴木孝、同大橋洋一の各供述記載に対比し、にわかに措信し難い。即ち、鈴木は、被害自動二輪車が余りに高速度で走行するので、これに注意を与えようと考え、右二輪車に追付くべく加速して追随したが、二輪車の速度が早くて追付けなかつたが、同人と右二輪車の間には、他の車両はいなかつたと供述しているのである。従つて、普通車一台が、交差点南側横断歩道附近にいたことを前提とする所論は、その前提を欠き、採ることができない。

同控訴趣意の四について。

所論は、本件において、被害自動二輪車は、時速約九〇ないし一〇〇粁という高速度で、しかも市街地域の交差点を進行したものであつて、その交通法規違反であることは勿論であるが、これに対し通常の運転者に、かかる無謀運転の車両のあることまで予測せよというのは無理であるから、須らく信頼の原則の適用により、被害自動二輪車の速度については予見可能性の範囲を制限すべきであり、してみると本件における原判示被告人の注意義務は否定されるべきである旨主張する。

なるほど、証拠によれば、被害自動二輪車が、所論の如く時速約九〇ないし一〇〇粁ということはできないにしても、制限速度(時速六〇粁)を超える高速度(鈴木孝の司法巡査に対する供述調書によると、同人が六〇ないし六五粁で追かけたが及ばなかつたという。)で、原判示市街地区の本件交差点を疾走したことが認められ、その運転が交通法規に違反する無謀運転であり、その過失が本件事故の一因をなしていることは、否定できないところである。しかし、本件において、直進車である被害車両の方が優先車であること、被害車両の進路は被告人から遠く望見し得べき場合であるのに、被告人において前述の如き注意義務の懈怠があることは、前段説明のとおりであるから、本件につき、信頼の原則を適用すべきものとは認められない。所論の援用する最高裁判所判例は、事案を異にする本件に適切ではない。それ故、論旨は理由がない。

同控訴趣意の五について。

所論は、量刑不当の主張である。

本件における被告人の過失の態様は、前述のとおりであつて、被告人は、道交法三七条一項の規定に違反したものであり、被害自動二輪車にも前述の如き速度違反の過失があつたにせよ、被告人の過失がとがめらるべきであるのは、已むを得ない所であるというべく、被害者中一名は死亡、一名は加療約四ヶ月を要する傷害(昭和四四年一二月五日当時においても、被害者沢村守は、なお、左手が曲らない状態にある。)を受けており、従つて結果は重大であるといわざるを得ないし、示談についても未だ見るべきものもなく、なお、被告人は、過去において、昭和四二年中に道交法違反で二回罰金刑に処せられていること等を綜合すると、原審が被告人に対し、禁錮四月に処したのを目して、強ち不当に重きに失する科刑ということはできない。それ故、所論は理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないので、刑訴法三九六条に従いこれを棄却すべく、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項但書に従い、全部これを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

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